趣味の盆蚕

「しゅみのぼんかいこ」とは、盆栽を楽しむように小規模に養蚕を楽しむという意味で、ブログ筆者の造語です。略称は「ぼんさん」

那須絹のはじめ(栃木県)

 欽明天皇の御代に、常陸国(茨城県)豊浦の港に権太夫吉林という男がいた。沖で釣りをしていると、美しい姫君が流木に捕まって流れていた。姫には日本語が通じず、隣村の僧侶が梵字を書いて名をたずねたところ、天竺の鱗意大王の娘で金色姫と名乗ったという。権太夫の手厚い看護にもかかわらず、姫は数日後に亡くなった。

 それからしばらくすると、姫の墓から無数の毛虫が現れ、近くにあった桑の木にたかって葉を食べ始めた。二十日ほどすると毛虫はそれぞれに白い巣(繭)を作り、やがて沢山の蛾になって出てきた。

 

 常陸国筑波山に住む宝道という僧侶がやってきて、その虫が蚕であることを教えた。権太夫はよろこんで、虫の卵を僧侶と分け合い大事に保管することにした。

 

 宝道は旅の途中、下野国(栃木県)那須野ガ原の御手山(こてやま)で道に迷ってしまった。そこへ白髪の老人が現れて宝道を池のほとりに案内した。老人に言われるまま耳を澄ますと池の底から音がする。海神の都で竜女が機を織る音だという。

 

 それから宝道は池から現れた大亀にのりさらなる山奥へと分け入った。そこで常陸国で別れた権太夫と再開する。権太夫は沖で遭難し、気づいてみると大亀に載せられてこの山奥にたどり着いたというのである。

 

 これも蚕神の導きであろうと、大事に持っていた蚕の卵を出してみると、すでに毛虫になってうごめいていた。夢まくらに現れた金色姫のお告げで桑の大木をみつけだし、養蚕に励むことになった。

 

 ふたりの寝食は、どこからか現れた小娘が世話してくれた。蚕が繭になると、この娘が糸にする方法や機織りを教えてくれた。ふたりが一通りの仕事を覚えると、

「これにてわが望みは果たしました。わたしに代わって養蚕の道を広められよ」

と告げ、娘は大亀に乗って姿を消したという。

 

『日本の民話5・栃木編』より、要約しつつ抜き書き

類話:金色姫(茨城県)、衣笠姫(群馬県)など

 

# 前半の権太夫吉林が姫を助けるところまでは江戸時代の養蚕指南書である『養蚕秘録』や茨城県にある蚕影神社の縁起書にある金色姫の話と同じ。おおまかな話はこちら>http://okaiko.hatenablog.com/entry/2012/10/31/113319 四度の眠の由来が抜けている。

# 後半はずいぶん無理やりな話になっているが、海のない栃木県に養蚕がもたらされた次第を海とこじつけようとした結果だろうか。