趣味の盆蚕

「しゅみのぼんかいこ」とは、盆栽を楽しむように小規模に養蚕を楽しむという意味で、ブログ筆者の造語です。略称は「ぼんさん」

羽化・交尾・割愛

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 6月30日、朝見たらこの状態でした。

 

 お蚕の交尾は静かで情熱的です。こうして結合したまま翅をふるわせて、何時間もずっとつながっています。手でひきはがそうとしても、簡単にははなれないほど、固く結びついています。

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 半日くらいほうっておくと勝手に離れることもあるし、何日もつながり続けたまま弱って死んでしまうこともあります。メスが弱ってしまうと卵をとれないので、そうなるまえに引き離してやります。お蚕の腹をそっと持って、ねじるようにしてひっぱると、ぽこっと離れます。これを割愛(かつあい)と言います。しっかり結合している時は、写真のように翅をひっぱるともげそうになるので、腹をそっと持ってねじったほうがいいと思います。

 

 ところで、割愛という言葉には「惜しいと思うものを手放すこと」「不必要な部分を切り捨てること」などの意味があります。もとは養蚕用語だったのが普通の言葉になったとテレビでも紹介されたことがありますし、わたしもそう思っていました。

 

 改めて辞書をひいてみると割愛には「愛着や煩悩を切り捨てる」という意味もあって、古くは鎌倉時代の『沙石集』という仏教説話集にも「割愛出家の沙門(この世への愛着を切り捨てて出家した僧)」というフレーズに出てくるそうです。最初は仏教用語だったのかもしれません。後に交尾中のお蚕を切り離すことを割愛というようになり、やがて一般の言葉として広まって行ったのかな、と思います。

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 交尾中のお蚕を割愛すると、メスはピュッと小便をして、そらからしばらくすると卵を産み始めます。勝手に歩きながらどこへでも産み付けてしまうので、決まった場所で産ませたいなら、ペットボトルかなにかを切ってかぶせてやるとその中だけで卵を産みます。

 

 すっかり卵を産んだメスは、もう餌も食べず、ただ弱って死んで行くだけです。オスも同じです。

 

 前に、産卵を終えたメスと、そのメスと交尾していたオスを一緒にしてみたことがあります。二頭はまた尻で繋がって、いつまでも一緒でした。二日目の朝だったでしょうか、ふと見たらオスがメスの尻にぶらさ がったままハエトリグモにたかられて、ジワジワ食べられていました。もう弱っていて翅をふるわせて追い払う力もないのです。それでもまだ生きていて、決してメスを放そうとしませんでした。生きものの本能とはいえ、なんという愛欲の深さでしょう。昔の人がお蚕を別つのに仏教用語を使った気持ちがわかるような気がしました。